049 恩師との出会い、初めての挫折。
はせたくです!
ふと思い出すきっかけがありましたので、たまには棚卸しもいいかなと思い、ありのままの自分自身を振り返ってみます。
1988年、兵庫県尼崎市生まれ。
当時20歳の母と30代の父との間に生まれる。
(あまり父の記憶はありません。。)
僕が3歳の頃に両親が離婚し母子家庭。
母の実家で祖母、母、妹、僕の4人暮らし。
父とは以降会ったこともありませんし、今何をしているかも知りません。名前や年齢すら。
いわゆるDV夫やったみたいです。
母は中卒で、正社員は難しかったみたいですが、生保レディ、葬儀屋などの仕事をしながら家計を支えてくれました。僕と妹の面倒は祖母がみてくれていました。
決して豊かではありませんでしたが、仲が良く幸せな家庭でした。
ただ、やはり経済的な理由で我慢する事も多かったです。
流行りのゲーム機などもそうですし、どうしてもお金がかかることは我慢。。
時には友達どうしの会話についていけないこともありました。そして、周りが学習塾に通い始めた時なんかは特にその事を感じました。
月約2万円ほどの月謝だったかと思いますが大きな出費です。
周りが通っているからと母に塾に通いたいとお願いしましたが、あえなく却下。しかし、ただ経済的な意味だけで却下したのではありませんでした。
なぜ、塾に通いたいのか、と目標がはっきりしていないようではダメだと考えさせられたのを覚えています。
当時の僕は外で泥んこになって暗くなるまで公園で遊んでいるような子どもでした。
お世辞にも成績は良くはありません。
あゆみ(通信簿)は、よい・ふつう・がんばろう、のうち「ふつう」と「がんばろう」ばっかり。笑
「よい」が一つもない時もありました。
学校の先生からしたら、パッとしない子やったと思います。
「恩師との出会い」
実は母も母なりに考えてくれていて、近所の商店街のカバン屋さん(保護司の多田先生)に僕に勉強を教えてくれるようお願いをしてくれていました。
これが恩師、多田先生との出会いです。
(この出会いが後々僕の人生を大きく左右する事になりました。なぜ保護司さんと母が知り合いなのかはご想像におまかせします。。笑)
みんなが通っているような塾ではありませんが、手作りの寺子屋のような塾での学びが始まりました。たしか小学5年生の夏頃だったと思います。
それからは勉強も順調でした。
分からないことが分かるようになり、「勉強楽しい!」ってのめり込んでいきました。
基本的には、学校の授業の予習、復習をしていて、6年生の2学期には、たしかあゆみは全て「よい」になっていました。
実は、塾で勉強し始めてから僕にはぼんやりと憧れに近い、目標ができました。
それは中学受験です。
でもさすがに経済的な問題もあるため、どうせ無理やろな、と想いを誰にも伝えないまま小学6年生の冬を迎えました。
なぜ中学受験をしたいと思ったのか?
それは多田先生みたいになりたい。って思った事がきっかけでした。そして先生の母校に行ってみたいと思うようになり、先生への憧れがそのまま目標になりました。
ただ、さすがにこの目標は母にも相談できませんでした。
今、勉強ができる環境があるだけで幸せでしたし、迷惑かけたくないし、別に中学からじゃなくても良いじゃないかと自分に言い訳をしていました。
そして、あれよあれよと時間は経ち、ついに願書締め切り数日前。。
実は、母は僕の目標について気づいていました。
「言いたい事があるなら全部言え!」と母から言われ、その時ボロボロに泣きながら受験したいと初めて伝えました。
母は僕が本心を伝えるのを待っていたのでした。
担任の先生にお願いをして内申書を準備してもらい、願書の準備を進めてギリギリ持ち込みで願書の提出ができました。。
願書は出せたものの、学費はどうするのか?と聞くと「それはその時に考えるから、安心して勉強しなさい!」との事でした。
自分の母親ながら、男前過ぎてびっくりでした。
それから、毎日10時間以上勉強しました。お正月も関係ありません。友だちとも遊びません。
中学受験をする周りの子たちは、何年もかけて準備してますが、僕は数ヶ月足らず。
学校の勉強と受験とは訳が違います。
やっと勉強のコツが掴めてきたレベルでした。
とはいえ、たくさんの人に支えられて、あとはそれに報いる事ができるようにやれるだけのことをやって受験当日。
ガチガチに緊張していました。。
テストもそうですが、面接なんて頭が真っ白でした。。
全く手ごたえがない。。
受験は残念ながらあっけなく不合格。。
貼り出された合格発表の紙に自分の受験番号はありませんでした。。
今でもあの光景は鮮明に憶えています。
合格者と不合格者とで別れる明暗。
なんなら、受験番号が近くで合格してガッツポーズをしてた子の顔まで憶えてるくらいです。。笑
思えば人生初の挫折でした。
その帰り道の車内で、またボロボロ泣きながら高校受験でのリベンジを母に誓いました。
「悔しさをバネに」
続きます。
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