050 リベンジ、そして母への感謝
前回の続き。
http://takuya3162.hatenablog.com/entry/2019/05/05/021007
人生初の挫折を経験してまもなく、小学校を卒業して、僕たち家族に大きな変化がありました。
母が再婚しました。
母の旧姓の小島から長谷川に苗字が変わったのが中学の入学式の数日前でしたので、苗字の変わったことを知らない友達はクラス発表で、「こじっち(当時のニックネーム)の名前が無いで!」と騒いでいました。笑
説明が面倒だったので、僕が「長谷川卓也」の名前を指すと何やら察してくれたようです。。笑
中学進学も僕の転機になりました。
それまで学級委員なんてするキャラでもなかったのですが、まさかの立候補。そして3年間ずっと委員長や学年代表を務めました。
これも説明が面倒でしたので、周りには内申点稼ぎだと説明していましたが、心機一転何か頑張ってみようと思ったのと「長谷川卓也」として早く憶えて欲しいと思ったり、何となく委員長をやっていたら、その立場が自分を変えてくれるような気がしていました。
何となくですが、ターニングポイントだと感じていました。
部活は、バスケ部に入部しました。
何ごともがむしゃらに取り組みました。
スポーツも勉強も。
校内マラソン大会は1年生の時に3学年全体で歴代最高記録で優勝。
学内テストも常時5位以内。
事あるたびに自分にプレッシャーをかけまくっていました。
中学の3年間は部活、勉強、委員会とで、とにかく忙しかったです。
下校時間が決まっていませんでしたので、20時や21時まで当たり前にバスケの練習をしている日もありました。バスケは大好きで、まったく苦にはなりませんでした。
年中行事がある際の委員会も意外とやる事が多かったです。
一方で、母の再婚を機に新築の一軒家へ引っ越しがあったり、全てが上手くいっていました。
しかし、これも長くは続きませんでした。
中学2年になる頃、父が失職しました。
(精神的にも堪えたのか、社会復帰には数年を要しました。)
再婚後は比較的に裕福な生活をしていましたがまた元通り。
住宅ローンの返済などの固定費も重たく、一転してリベンジ(私立高校受験)どころではなくなりました。。
おいおい、ホンマかいな。。笑
と、この世に神様がいるなら、そいつをブン殴ってやりたい気持ちでした。
また、その後父が失職後に作った借金も発覚し、さらに厳しい状況となりました。
どうやらパチンコなどで遊ぶお金が必要だったみたいです。。笑
気づいたら、新しくできた実質初めての親父はダメ親父になり果ててしまいました。。
そんな状況でも母は僕を応援してくれました。
本当に本当に大変だったと思います。。
僕は変わらず、中学で落ちた学校の高等部の合格を目指して準備をしました。
中学受験とは打って変わり、高校受験はよっぽどのことが無ければ不合格は無いだろうと周りからも言われいました。
中学3年の冬。
いよいよ受験直前です。
そこで、僕は2つの選択を迫られていました。
実は有難い話、推薦入試がある県内の高校であれば全て推薦がもらえる状況にありました。
経済的な事情は担任の先生にのみ相談していました。
基本的には一度の三者面談ですが、先生は時間を割いてくれて、何度も何度も放課後に三者面談をしました。
面談を繰り返す中で、先生は経済的な問題を鑑みて推薦入試がある中で一番理想的な国立の学校を紹介してくれました。
迫られたのは、その国立高校と、目指し続けた私立高校のどちら受験するかの二者択一。
実は、更に経済的に厳しくなっていたので、
誤解を恐れずに言うと、「しょうもない高校に行くならお金の出し甲斐がないから、自分で働きながら定時制高校に行け。」と母には言われていました。
↑色んな価値観があろうかとは思いますが、シンプルに偏差値での線引きがありました。ちなみに近隣の公立高にはその基準を満たすところはありませんでした。
安パイを選ぶなら推薦入試。
でも、憧れていた学校には挑戦したい。
そんな二者択一の末、後者を選びました。
その選択に母は何も口を挟まず、中学受験と同じように、「お金はなんとかするから頑張れ。」と言ってくれました。
落ちたら働く。と僕も腹を括っていました。
とにかくめちゃくちゃ勉強しました。
、、、そして時間は経ち、受験当日を迎えました。
かなり緊張はしていましたが、3年前とは違ってスラスラ問題は解け、かなり手応えあり。
2日目のスポーツテストも無事に終える事ができました。
※スポーツ推薦ではありません。
そして2日後、合格発表。。
不安と自信で心臓は異常に高鳴っています。
合格者の受験番号が貼り出されるのを今か今かと最前列で待つ僕。
そして発表、、、!
受験番号あった!!!
そこからの記憶はあまりありません。
3年前と同じく、気づいたら帰りの車内でボロボロに泣いていました。
前と違ったのは今度の涙は嬉し涙でした。
この時に学費をどうやって工面してくれたのかは、大人になるまで知りませんでした。
ただ、周りには経済的な理由で進学を諦めた友人も確かにいたので、
おそらくかなり辛い選択だったとは思いますが、行きたい学校に挑戦させてくれた母には感謝しかありません。
高校では、大好きなバスケに没頭できる環境に身を置くことができました。
バスケを通じて海外遠征や、全国大会。充実した校内活動、そしてこの学校だから仲間になれた学友。
たくさんの素晴らしい経験ができました。
感謝!
5月12日は、母の日。
プレゼントを考えていると、ふと昔の話を思い出しました。。笑
みなさんは、母の日にどんなプレゼントをお考えですか?
【LINE@始めました!】
お金、保険、社会保障など、お役立ち情報発信中です 友だち登録よろしくお願いします!